アイヒマン関連の映画を見た
アドルフ・アイヒマンは、ナチ政権下でユダヤ人の追放や虐殺に関して中心的な役割を担っていた人物として有名です。彼は1960年にイスラエルのモサドによってアルゼンチンで逮捕され、翌年イェルサレムにて裁判を受けました。最終的には62年に絞首刑を執行されました。*1
アイヒマンは戦後しばらく経ってから公開裁判を受けたナチということで大変に注目されており、たとえば、ハンナ・アーレントが彼やその裁判についての著述を残したことが有名です*2。映画という媒体でもアイヒマンに関する作品がありまして、この度はそのうち3本を見ました。本稿はその備忘録に近いものです。以下に、作中で扱っている内容のざっくりとした時系列に沿って並べます。
『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』
本作品は、アイヒマンの行方を追った戦後西ドイツの検事*3、フリッツ・バウアーを主題としたドイツ映画です。バウアーはナチ政権下からデンマーク、次いでスウェーデンに亡命したのち帰国し、しばらくすると西ドイツで検事の職に就きました。そこで潜伏中のアイヒマンに関する情報を収集するとともに、モサドと接触し、アイヒマンの逮捕に貢献しました。
映画は、バウアーの情報収集、モサドとの接触、そして裁判までを描いています。戦後西ドイツの行政・司法部門にはナチ政権で要職に就いていた者もいたようです。そうした人々から妨害を受けながらも、戦後ドイツをホロコーストと向き合わせるために、いかなる手段を用いても(すなわち、自国の組織ではなくイスラエルの情報機関に頼ってでも)アイヒマンから証言を得ようと奔走する様子が印象的です。また、彼自身の同性愛についても触れられています。
なお、Amazon Primeビデオで視聴できました。
『オペレーション・フィナーレ』
アイヒマン捕獲作戦(オペレーション・フィナーレ)を実行したモサド諜報員をテーマにしたアメリカ映画です。アイヒマンの逮捕は、アルゼンチンの国民をイスラエルの情報機関が拉致する形になっているうえ、当時のアルゼンチンにはドイツ系住民も一定数居住していたため、困難を伴うことであったと思われます。本作品では、その様子をスリリングに描いています。期間としては、作戦の準備期間から実際に捕獲されるまでが対象となっています*4。作中では諜報員同士の恋愛も。
本邦ではNetFlixが独占的に公開しているみたいで、私もネトフリで見ました。
『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』
イェルサレムでの裁判を撮影・放送し、その内容を世界に伝えたテレビクルーらが主題なのがこの映画です*5。裁判官から撮影許可を得るために苦労した話や、裁判開始と同時期にガガーリンが乗ったヴォストーク1号の打ち上げやピッグス湾事件があり関心が逸れてしまった話も含みつつ、歴史的な裁判の撮影に挑むテレビクルーの執念を描いています。また、今回見た中では、この映画がもっとも裁判の内容を描いていました。本編中にホロコーストの記録映像も含まれており、それが苦手な人もいるかもしれません。
Amazon上映像が販売・レンタルされており、おおよそ500円くらいでレンタルして見ました。
なお、ここで取り上げた以外に、裁判そのものを扱った『スペシャリスト 自覚なき殺戮者』というドキュメンタリー映画があるようであり、これは未視聴ながら気になっています。アーレントを扱った映画もあるようで、そちらもまたこんどレンタルしてみようと思います。
(記述の正確性などで問題があるかもしれず、センシティヴな題材だけに少し怖くなっているのが正直なところです)
ポリフォニック旧東側政治の試み1;バイコヌールの大統領選挙結果は大して面白くない
ポリフォニック旧東側政治の試み1
バイコヌールの大統領選挙結果は大して面白くない
楽しいことがしたい、ということで露政のことを考えてみる。
できれば、旧ソ連諸国等の政治についてのしょうもない話をちまちま書いていくシリーズにしたい。
機械翻訳に頼りまくっているので、その程度のものと捉えていただければ幸い。
はじめに
以前から、ロシアの全連邦選挙の結果にバイコヌール市選挙区(正確にはロシア連邦の領土外に)が表示されていることが気になっていた。
ご存知の通り、バイコヌール市はロシア連邦の隣国であるところのカザフスタン共和国という独立国家の中にありながら、ロシア連邦が租借している(行政権を持つ)都市である。もちろん、その背景にはバイコヌール宇宙基地の存在がある。
そして、中央選挙管理委員会が公表する選挙結果では、このバイコヌール市の結果が他の連邦構成主体と別に示されている。租借地はいずれの連邦構成主体にも属さないであろうから、それ自体は納得できるが、日本で生まれ育った人間には新鮮に映った。
国家に大きく依存するであろう航空産業を要する一方で、若者が去っているというバイコヌール市*1。ここではどのような選挙結果が見られるのであろうか。今回はこれを見ていく。
なお、先に申し上げてしまうと、別に全連邦の結果と変わり映えのない結果で、大して面白くはなかった。
ソース・対象となる選挙
ロシアの選挙結果は中央選挙管理委員会のWebサイトから入手できる*2。
観察の対象とする選挙は2008年・2012年・2018年のロシア連邦大統領選挙である。理由は、それ以前の結果を探すのが面倒になったからである。これらの選挙では、いずれも統一ロシアの候補であるメドヴェージェフ(2008年)・プーチン(2012年・2018年)が勝利した*3。
選挙結果を見る
それでは、まず2008年の選挙結果を見ていこう。なお、ここで言う絶対得票率は全有権者に対する各候補者の得票割合、相対得票率は得票数が公表された候補の全得票の合計に対する各候補者の得票割合である。多分、適切な表し方ではないが、ご愛嬌ということで。また、「B」はバイコヌール市のことを表す。
なお、自己推薦扱いのボグダーノフはロシア民主党の党員であった。
以下が結果表である。
結果を見ると、大体10%pほどメドヴェージェフの得票率が高いくらいしか言うことがない。そして、この傾向はほかの回でも同様である。
次の表が2012年選挙の結果表である。
先述の通り、プーチンの得票がいくらか高い程度である。
2018年の表も。
なんだか少しプーチンの優位性が薄れたくらいであろうか。
ということで、2018年選挙まででは、大して面白い様子は掴めなかった。幾分か統一ロシアの得票率が高く見える程度である(統計的に有意な差かを検証するのは面倒だし正しくできるか怪しいので、またこんど)。もちろん、全連邦での得票率とのスプレッドは縮小しつつあるようなので、今後の結果次第では面白くなるのかもしれない。それと、2004年以降。
お気持ち
- バイコヌール市の有権者数は、2008年に16239人だったものが、2012年に15116人、2018年に14575人と順調に減っており、なんとなく悲しい。
- バイコヌールで統一ロシア候補が人気のようであるのは、やはり宇宙産業が官製産業に近いゆえなのであろうか。
- 2018年はやたらと選管公認候補が増えているが、これは何か。
- ジリノーフスキーは毎度元気に大統領選挙に出るし、毎度元気に右派っぽい発言をしていたように思うが、亡くなっちゃったね、というやつ。
- ロシア共産主義者とかいう謎政党、毎回笑ってしまう。
- この程度の手抜き記事ですら、書くのはかなり面倒。
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フィクションです。
ワンピース
1部「エイルの海賊王・ルフィの生い立ち」
アフリカ北西部、ソマリアの地にアブドラ・D・ルフィという少年がいた。幼いころに両親を失い、やがて貧困の中で海賊行為で生計を立てるようになる。彼が所属した海賊集団の構成員は皆麦わら帽子をかぶっていたため、「麦わららの集団」と呼ばれていた。
海賊集団の首領はのちにアデン湾米軍艦撃沈事件の主犯として米軍に殺害されたことで知られる、ムハンマド・チョッパーであった。チョッパーとルフィは早々に意気投合し、ルフィがチョッパーの右腕となった。
2部「ソマリア海賊抗争記~ルフィ、アデン湾を統べよ!~」
ルフィ加入からしばらくしたころ、彼が編み出した「アデン湾の群狼」戦法により、「麦わら」は圧倒的な収入を得た。これを元に武器や船舶を買いあさり、買収、暗殺、略奪などあらゆる悪逆によって「麦わら」は実質的にプントランドにおいて独占的に海賊行為を行う主体となっていった。
3部「アラブの武器、中国の船体、日本のエンジン アフリカの角のビスマルク・ルフィ」
ソマリア沖の安全な航行を脅かされた各国は、「麦わら」掃討に乗り出した。米ソのみならず、中国や英国、ドイツや日本などの大国が近隣のジブチなどに基地を設け、「麦わら」を攻撃した。しかしながら、時は大冷戦時代。敵対国のプレゼンス拡大を阻止する目論見や、近隣湾岸諸国の政商が利益を狙う動きがあった。
当初、「麦わら」は前述の米軍艦撃沈事件を起こすなど強硬路線を取ったが、チョッパーの死とルフィの実権掌握以降、方針が変わった。ルフィは情勢を読み、巧みに軍事支援を取り付けた。そして、ついに各国からの援助と引き換えに、紅海・アデン湾航行の安全を保障する「アブダビ合意」に至ったのである。
4部「プントランドの生存圏 第二次オガデン戦争とルフィ独裁政権」
ルフィはアブダビ合意の功績をもとに、プントランド自治政府の大統領選挙に立候補、快勝する。彼は先進各国の資金援助をもとに陸軍を再建し、ソマリア統一を狙った。この際、敵対勢力を即時に攻撃するのではなく、隣国エチオピアへの報復戦争に勝利してソマリ人ナショナリズムを促進する方法を採った。これが第二次オガデン戦争である。
混乱期にあったエチオピア軍はルフィの攻撃に対応できぬまま敗走を続け、東部領土の割譲を認めて降伏した。ルフィがこれを受けて各勢力に統合を呼び掛けると、各勢力は市民の声に押されて恭順した。久方ぶりにソマリアが統一された瞬間であった。
その後、ルフィは統一後の国家再建を名目に権威主義的性格をさらに強める。反対派の殺害、農産物の収奪などを通して、軍を基盤とした体制を強化した。
5部「ルフィのディアドコイたち 明日のソマリアは誰の手に」
ルフィは統一から17年後の夏にこの世を去った。この後に政権をめぐる内戦が起こる。3派に分かれ、5年に渡って苛烈な戦闘・人道危機が続いたが、最終的にはアイユーブ・ウソップが勝利した。
6部「混沌の末に 秩序・民主化・アフリカの奇跡」
内戦やウソップ政権下の人権侵害を経て、ソマリアは再び無政府状態に陥るかに思われたが、希望は失われていなかった。ウソップ政権下のソマリアでは、沿岸部の漁民や水兵を中心に外国との接触が増え、民主化への要望が高まっていった。地下運動が徐々に活発化したが、最終的にはファーティマ・ナミがモガディシュで設立した統一ソマリア民主連盟に結集する。そして、ソマリア革命が起こった。あまりの傍若無人ぶりから、ウソップは陸軍すらも統制できず、早々にジブチに亡命してしまう。そして、ナミは女性初のソマリア大統領に就任した。
その後のソマリアは国際社会の支援により急速に復興。ケニアやエチオピアなどとの歴史的な和解を経て、サハラ以南アフリカで最も豊かな国と言われて久しい。
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『Fr〇e!』は、京〇アニメーション制作による日本のテレビアニメシリーズ。ナチス・ドイツに対抗するために鳥取県が設立した、自由と民主主義の監視機関「フリーダム・ハウス」創設期を題材に、小学校以来デモクラシーから遠ざかっていた主人公らが、鳥取大学在学中に発起に奔走する日々を描く。
ゲノム大乗仏教は、ドーキ〇スの議論を仏教に応用した、ベト〇ムの新宗派である。生命の個体は遺伝子を次世代に受け継ぐ運び手(乗)であり、これが人類を悟りに到達させるという。多くの精子を獲得したまま死亡した人間を、より多くの遺伝子を伝えるネオ菩薩と捉え、崇拝している。
甲が恋人を見つけたことに憤った冥界の小〇恵三は、その肢体を自らの結界"Gumma(現在でもその読みは判明していない)"に封印し、管理下に置くために八〇場ダムの建設を支持した。甲は現在も堤体に埋め込まれているが、これに反対した森〇健作が2代目の身体を作成し、サルベージした甲の精神を封入した。現在の甲(Gen. 2)が「yamba_selfie」のような八〇場ダム関連ツイートにいいねをするのは、封入時に森〇健作が八ッ場ダムへの帰巣本能をプログラムしたからである。
1/48ソ連戦車プラモを作り出している(T-34-85、IS-2)
ここ数週間、精神療養?のためにプラモデルを作ってみている。細々と手先を動かしてモノを作り上げると、ちょっとした達成感や満足感のようなものが得られる。気がしている。これがおそらく心に良い。
もともとは鉄道模型用ジオラマの片手間、というより暇つぶしがてら買ってみたが、案外ハマってしまった。気持ちよく作ることができればそれでよし、ということで専らタミヤの1/48を作っている。
以下は、実際に作ったものである。
T-34-85
ソ連といえばT-34-85っしょ!ということで購入した。最新のモデルということもあり、非常に作りやすかった。塗装の処理が甘いが、もう完成ということにしてしまう。
T-34-85、かわいい。
IS-2
次はスターリン戦車っしょ!ということでIS-2(JS-2)。デカール貼りに失敗したり、白線を太くしてしまったり、失敗を挙げるのに暇がない。さすがに見逃せず、修正中である。タミヤにデカール要求郵便(アンド送金)を送るの、面倒……
なお、ソ連は戦後もアツいっしょ!とT-55も購入して制作中である。早く完成させて、並べてブンドドしたい。次はデカール貼りをしっかりしよう。実は、慣れたところで電子工作まで初めて、1/35のラジコンを作りたいという野心もあったり。小学生時分にはんだごてを扱った際には、普通にはんだヴェットリになっていた記憶があるが……
ウズベクの銀行メモ
当初なんJ的似非関西弁で書いていたものの語尾だけを直したので、文体がハチャメチャなことには目をつぶって欲しい。
https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/01/bab9e55b16265b6a/20170060.pdf
資産額でみると、国有銀行のウズベキスタン対外経済活動銀行・アサカ銀行、合弁(半官半民?)銀行のウズベク工業建設銀行の順で大きいみたい。次いで合弁銀行の抵当銀行(?, Ipoteka-bank)・農村建設銀行、国有ハルク(人民)銀行、外銀ハムコルバンク、合弁アグロ銀行。
ウズベキスタン対外経済活動銀行(NBU)は体制転換前のヴネシュトルグ銀行(対外経済銀行)ウズベク内支店を母体としている。
アサカ銀行はウズベキスタンの自動車産業を支援する目的で95年に設立された特殊銀行が前身らしい。
ウズベク産業建設銀行は88年以後旧ソ連の産業建設銀行を継承した銀行。
抵当銀行は2005年に貯蓄住宅銀行と土地銀行とが合併して爆誕した銀行。住宅ローン普及や住宅建設推進を目的として設立された。
農村建設銀行は2009年に今の形になった。もとは穀物関連産業への融資専門の特殊銀行・ガラ銀行(94年設立)だった。これが2001年に普通銀行に転換し、それを基に2009年に農村地域の住宅建設・社会資本整備・長期資金融資の目的を持つ銀行として農村建設銀行が設立された。
Xaiq(人民)銀行は、旧ソ連の貯蓄銀行が体制転換後に名を変えたもの。年金の取り扱いを独占的に行っている、ウズベキスタンで一番のリテール業務扱いを誇るらしい。傘下に保険と投資会社とを持つ。
アグロバンクは90年にウズアグロプロムバンク(ソ連末期の農業産業銀行のウズベク版かな)として設立された。ウズアグロプロムバンクは95年に綿花産業融資を目的とするパハタ銀行(綿花銀行)に転換したのち、2009年にいまの形になったん。この銀行は農家への融資・農業の発展支援・農業生産者への金融サービス提供を目的としている。まあ、さしづめウズベク版JAバンクといったところ。
ハムコル銀行は91年に設立されたことしか分からなかった。
ちなみに、旧ソ連時代の銀行については以下に詳しい。
https://www.mof.go.jp/pri/research/discussion_paper/ron291.pdf
ロシアの銀行については以下に詳しい。
http://www.yu-cho-f.jp/wp-content/uploads/Russia-1.pdf